歴史上一番短い戦争は40分で終戦したと言う雑学記事

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本題に入る前に、事業のご紹介ということで下記バナーを貼り付けておきますので、気になった方は覗いてみてください。



で、話を戻しますが今回の題材はこちら!!

歴史上一番短い戦争は40分で終了した件

ということで、歴史や現実世界に関するこのようなネタを動画+ブログ記事にしましたのでご紹介いたします。

ちなみに、終戦がこんなにも早かったのか結論から申しますと、

圧倒的な戦力差

と言うことになります。では、詳しく見ていきましょう。

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■第一章-本記事の動画はこちら


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■第二章-皆さんは戦争と聴いて何を思いますか

皆さんは、戦争と聞いてどう感じますか。

学校教育でも、戦争の怖さや愚かさを学習したかと思います。勿論、日本は原子力爆弾の投下を唯一受けたと言うこともあり、大変重い話かと思います。

そして、戦争は一度始まると暗く悲しい時代が長く続くイメージがあるかと思います。

実際に、火の粉が舞わなくてもアメリカとソ連の冷戦のように、代理戦争や諜報活動、情報戦争など戦争の形はそれぞれあります。

さらに、内戦や宗教戦争などが未だ続いている国もあります。

ですが、この歴史上で一番短い戦争は終戦まで一年も掛からなかったのをご存知ですか。

あ、その前に!前回のブログ記事も一応紹介しておきますw

集中力をUPさせる為の記事はこちら

すいません。話を戻します。

その戦争の名前は、『イギリス・ザンジバル戦争』といい、1896年8月27日にその名の通り、イギリスザンジバル保護国との間に起こった戦争です。

ザンジバル保護国とはインド洋に浮かぶ島にある国で、当時はイギリスの保護国となっておりました。

最初は友好的な関係を築いていたみたいですが、ザンジバル側がイギリスの定める条件を無視する人物をトップに置いたことにより、イギリス側が宣戦布告し戦争に発展しました。

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■第三章-イギリス・ザンジバル戦争の期間は?

では、この戦争ですがどれくらいの期間で終戦したと思いますか。

一年?半年?一ヶ月?

なんと!!この戦争は、、、、、、、

40分!!

で、終了したわけです。小学校の授業一コマ分ですね。

サッカーの試合ですら、前半で45分あるのでそれよりも短い時間です。そう聞くと、驚異的なスピードですね。

この記録は、歴史上最も早く終わった戦争としてギネスブックに記録されております。

では、何故こんなにも早く終結したのでしょうか。早速、一緒に見ていきましょう!

■第四章-ザンジバル戦争の過程

ザンジバルの当時の最高権力者の『ハマド・ビン・スワイニ』は、イギリスと比較的友好的な関係を保っていました。

しかし、そのハマド1896年8月25日に亡くなった事により、次の最高権力者を決める必要が出てきました。

イギリス側が国益に有効的だった、『ハムド・ビン・ムハメド』を最高権力者にしたいと考えていました。

だが、実際に最高権力者になったのは、当時のイギリスのやり方に不満を覚えた人達が決めた『ハリド・ビン・バルガシュ』が後を継ぎました。

ザンジバルのトップはイギリス側が認めた人物を置くことが条件だった為、イギリスは勝手なことをしたザンジバルに対して怒りました。

それでも従わなかった為、イギリス側はこのことを『開戦自由』とみなし、ハリドに軍隊を解放させ王宮から去るように通達しました。

しかし、ハリド側は王宮親衛隊を集め王宮に立て篭ってしまいます。

ここまでの流れが戦争の始まりです。

そして、同年(1896年)の8月27日午前9時に歴史上一番短い戦争は始まりました。

クーデターに成功したハリド側は、約2800人のザンジバル人で王宮を守っていました。

この2800人の大半は市民を集めたものでしたが、中には親衛隊や数百人の召使、奴隷もいました。

それに対してイギリス側は、

砲艦2隻・巡洋艦3隻

海兵隊・水兵150名

を畜生とい言わんばかりに集結させ、ザンジバル人部隊約900名を港に集結させていました。

開戦の合図と同時に放たれたイギリス側の砲撃により、ハリド側の王宮を守る大砲と機関銃が一瞬で使い物にならなくなりました。

そして、イギリス艦隊を『ハリー・ローソン』が指揮し、小規模な海上戦も発生しました。

しかし、その海上戦すらイギリス側が圧勝してしまいます。

そして開戦から40分後9時40分にザンジバル側の旗が撃ち落とされ戦争は終結しました。

ハリド側は約500名の死傷者が出たと言われておりますが、イギリス側は水兵1名が負傷しただけでした。

ハリドは命からがら、ドイツ領の東アフリカに脱出しドイツ領事館の保護を受けることになりました。

この戦争に勝ったイギリスは、すぐにハムドを最高権力者に置き再びイギリス植民地となりました。

冒頭でも申し上げたように、イギリス・ザンジバル戦争がここまで早く終戦したのは、その圧倒的な戦力差によるものでした。

戦果を見ても、まるで弱い者いじめですね。

ちなみにこの後67年間イギリスに対する反乱は一度も起こらなかったそうです。

これは、圧倒的な戦力の差を見せられたからなのか、当時のイギリスが優しかったからなのかは今になってはわかりません。

■最終章-本ブログ記事のまとめ

いかがだったでしょうか。

どちらにせよ、戦争という行為は醜いものです。しかし、そのような歴史があり一つ一つの国は成り立っているわけです。

争いがない世界になればいいですね。

今回も、ご視聴ご一読ありがとうございました。

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